
(1)風景づくりによる農山村の持続可能性
風景づくりによる活性化の手応え
“ふるさとリピーター” としてふるさとの風景づくりに取り組み5年目、地域住民の方から声を掛けて頂きました・・・「おかげで寿命が延びそうだよ」。
郷土は特に秀でた景勝があるわけではなく、いたって普通の農山村です。人口減少・高齢化・農林業離れ等により雑草や藪(やぶ)に覆われんばかりですが、その下には土地に暮らしてきた人々の営みが積み重なり、また共存する生き物たちの命の輝きがあります。それらを生かした風景づくりが、地域の人たち、さらには地域を活性化する力を宿していることを確認することができました。

農山村は人と自然との相互活性化の世界
都市におけるアメニティ(快適環境)としての自然や、自然公園等において保護されている自然と異なり、農山村の自然はその営みに直接手を掛け利用することのできる資源です。
かつての農山村は、自然の営みに働きかけ、その生長や実りをいただき、多くの人口を支え、その一部は都市へ出て都市の発展にも寄与してきました。農山村は人と自然との相互作用の世界であり、かつては相互活性化の状態にあったと言えるでしょう・・・それは農山村の本領だと思います。
相互活性化により産まれるエネルギーは、かつての国の発展の基盤・一端を担っただけの大きなものであり、かつ貴重な再生可能エネルギーです。
風景づくりにおいても活性化エネルギーを産み、享受することができます。それはつくる者を活性化し、見る者を活性化し、地域さらに社会全体へと波及することが期待されるものです。

対の関係としての農林業と風景
農山村の風景もまた人と自然との相互作用の賜物です。農山村の風景はおおよそ農林業の営みを映しており、陽光や天水をいただき、よく手入れされ、作物の出来の良い田畑や山林はこの上なく豊潤な風景です。
そして風景は生活環境でもあります。かつての農林業の営みはそのままにして風景づくりであり、生活環境づくりでした。
風景づくりの実践体験から見えてきたのは、これまでとは逆の流れです。風景づくりは生活環境の改善であるとともに、農林業振興の環境づくりになります。雑草の繁茂する耕作放棄地や放置竹林における風景保全の取り組みは、農林業の再開を導きやすくするための維持管理作業になります。
時代の流れに抗し、持続可能な農山村を築くには、農林業振興と風景づくりとを連携し、状況によってはむしろ風景づくりを先行して取り組む必要があると考えます。

風景づくりに取り組む側の効能
風景づくりは享受する側だけでなく、取り組む側にとっても様々な効能があり、内なる活性化をもたらしてくれます。
・風景づくりのスケジュールは基本的に季節・気象に委ねられます。春は草刈りシーズンのスタート、降雨の前には播種や植付け、夏の猛暑日には川に降り、冬は山の作業に入ります。風景づくりは自然のリズムに身をゆだね、健康的な刺激と発見に満ちた現実体験です。
・作業の大半は生き物相手の試行錯誤、計画→実行→評価→改善の繰り返しです。前進や後退を重ね、自然に委ね、自然を生かすノウハウが身に付きます。
・工作物に関わるところでは関連する知識や経験、それらに基づく応用力が求められる場面もあります。
・里山の風景づくりに際しては、大量に発生してくる伐採した木竹の活用に苦慮します。創意工夫が鍛えら、創造の世界が広がります。
・風景はモザイクです。土地所有者の利用・管理の仕方の違いが風景に表れます。そうした風景が人々から眺望される時、風景は公共性を帯びます。それは個人と地域との関係そのものです。風景づくりは個人としての自覚を促すとともに、地域さらにはグローバル(包括的)な見方を養ってくれます。
- 持続可能社会に求められている人材を育む -
以上の風景づくりに取り組むことにより発現する効能を総じて言うならば、それは地球レベルでのテーマである持続可能社会の構築、SDGs(持続可能な開発目標)の実現に取り組む人材の資質として求められるものではないでしょうか。
そして風景づくりは常に未来志向です。

里地・里川・里山という三資源の活用
農山村の特性の象徴は里地・里川・里山という全く異なった資源が相互に入り組んで存在することです。かつての人と自然との相互活性化も、この三資源を組み合わせた複合的活用によるものでした。特有の生物多様性の源でもあります。
風景づくりに取り組むことにより得られる効能も、この三資源全てと向き合うことにより相乗的に発現されるように感じられます。

“ふるさとづくり・ふるさとリピーターづくり”
農山村は一見のどかばかりにして特段の個性が見当たらなくとも、人と自然との相互作用の結晶としての里地・里川・里山があり、共存する生き物たちの命の輝きがあり、分け入れば分け入るほどに発見や感動に満ち満ちています。言わば風景の玉手箱です。風景づくりは風景の玉手箱のなかに入り込み、手を掛け、磨くことができるのですから、こんなに楽しいことはありません。その光景は地域の皆さんの笑顔を呼び、遣り甲斐や愛着となって実ります。手掛けた山川草木は、咲いた笑顔は、ふるさとの風景となります。
風景づくりは “ふるさとづくり” であり “ふるさとリピーターづくり” です。

(2)施策としての風景づくりの提案
以上のような風景づくりの実践体験から、施策としての農山村の風景づくりを提案したいと思います。
それは、都市住民を含めた広範な人々の参加による農山村の風景づくりです。
一.地域住民に活動を受け入れて頂ける土地の提供を募り、里地・里川・里山という三資源を含む活動エリア(共同管理地)を設定します。概ね区画整理が入っていない中山間地域で、耕作放棄地が拡大しつつあるエリアが候補地です。
二.活動エリア内において風景に表れている地域の課題を解消しつつ、潜在する原風景を浮かび上がらせ、自然の命輝く風景を創出し、農山村の活性化の基盤を築いていきます。
三.都市住民の参加により農山村-都市間の人の交流・循環を生み、また参加者各々が里地・里川・里山という三資源を巡り相乗的な効能を獲得できるようにし、農山村・都市双方の持続的発展に資する人材育成に寄与します。
派生効果として、当初設定した活動エリアおよび風景づくりが周辺に広がっていくことを期待します。
この風景づくりは農林業振興策や定住移住策等と対となる施策であり、これらと連携して推進することが望まれます。
都市には都市の魅力があり、大きな雇用の場があり、地方から都市への人の流れが消えることはないでしょう。一方、農山村には農山村の魅力があり、その象徴の一つが “風景” であると思います。
肝要なのは都市-地方間に人流の循環を生み出し、強固な相互補完関係を築くことであり、農山村の風景づくりはその循環の原動力になるように思われます。

(3)古から未来につなぐ水田稲作
農地における最も好ましい風景づくりは農作物の栽培です。これまで私が取り組んできた風景づくりは、耕作放棄により植生遷移が進み大型雑草に加え木本類やタケ類が侵入しつつある状況において、更なる遷移の進行をくい止め、農作物栽培の再開を導きやすくするための維持管理作業になります。
農業とくに水田稲作が放つ風景は、多くの日本人が抱く日本の原風景です。春の田起こし、畦塗り、代掻き、田植え、青田、稔り田、稲刈り、はさ掛け(掛け干し)、苅田などの一連の作業風景は農山村の四季そのものです。
水田稲作は農山村の風景の主役であり、農業・農山村の持続性を担う基幹である(下記の根源的価値を含む)ことは言うまでもありません。

日本人の特色を育んできた 列島の環境-生物相-食 の関係
中村元氏は指摘します・・・ “「理」よりも「事」を、目に触れ、耳に響く眼前即今の事物を大切にし、それをつくづくと見とめ、わきまえることが、今に至るまで日本人の特色”(東洋人の思惟方法、春秋社)であると。
自然の恵みを食料としていた太古の人々にとって、その出来、豊凶は死活問題です。彼らは天地の変に感覚を研ぎ澄ませ、食料とする植物や魚介類の発生・生長具合を注視していたことでしょう。
季節変動が大きく大雪もあれば台風も襲来する日本列島において、食材を追い求めることは時を見極めることでもあったように思えます。そのわきまえが旬の食を生み、時を重ね、今日の季節感豊かな和食の文化を花開かせているように思われます。
日本列島の変化に富む環境と豊かな生物相、生きる基本としての食、これらの関係における体験の蓄積が、日本人の特色を生み、育んできたように思われます。
今でも農林漁業は気候・気象・海象に大きく左右され、当事者はこれらに極めて敏感であることに違いはありません。

日本的な大陸文化の受け入れ方 - その典型としての水田稲作
貝塚茂樹氏は指摘します・・・ “ 大陸文化の流入は日本における固有文化を刺激し、これを育んできた。大陸の文化の輸入、その消化とともに、自然に日本固有の文化が生まれてきたのである。これが真に日本的な大陸文化のうけいれ方であった。” (日本と日本人、現代日本文学大系97 現代評論集、筑摩書房)
その典型が水田稲作と言ってよいのではないでしょうか。
縄文時代、人々は狩猟・漁撈・採集による自然食料の獲得を主体としつつ、前期には作物栽培が始まり、晩期には雑穀を中心とした農耕が広く行われていたとされます。
そうしたところに水田稲作農耕が政治・社会思想などとともに伝来しました。
稲作の歴史は政治と強く結びつき、発展し、米飯は主に支配層の特権的な食べ物であったとされます。
中世において武家の間で儀礼として確立された「本膳料理」は、現代では廃れているものの、その一形式である「米飯 + 一汁三菜」は今日の和食の基本的スタイルになっています。
近世になると米の収量である石高により全国の土地を評価する石高制を導入、これを社会体制の原理の一つとして稲作農業国家を形成するに至り、 “額に汗して働くことが善” “米を食べれば力がつく” といった稲作の持つ世界観が日本社会のなかに浸透し、 “稲・稲田は日本の文化と風土を象徴するまでに昇華した”(大貫恵美子、コメの人類学-日本人の自己認識、岩波書店)とされます。
私には、今日見る和食の米飯に一汁三菜の組み合わせは、諸外国由来の料理が多々入り込んでいるものの、全体に縄文時代から追い求めてきた旬で彩られ、弥生文化の象徴である米飯は主食であるものの、白飯でもあり、旬を引き立てる馴染みのよさを感じます。
また和食の共演者である和食器も、土感や造形・装飾に関しては縄文、機能分化と機能性に関しては弥生、そんな印象をしばしば受けます。
そして稲の活用は米だけではありません。糠(ぬか)、籾(もみ)殻、藁(わら)なども有用材としていたるところに活かされてきました。伝統的な日本家屋を見ても、屋根は藁ぶき、藁を芯材とした畳を敷き、神棚には注連縄(しめなわ)が張られ、また勝手には糠床の匂いがしみ込んでいます。

水田稲作は神宿り、仏道の世界
古事記や日本書紀には「稲霊(いなだま)」が登場し、「田の神」など稲作に関わる多くの信仰・祭祀が様々なかたちで今日に伝承されています。
一方、唐木順三氏は指摘します・・・ “田作りは人間の恣意、我執を離れて、山河大地の自然に随順しながら、天地の恵みをここに結晶してゆく行事であった。一休が珠光にいった言葉をもぢっていえば「仏法は田作りの中にあり」である。” (日本人の心の歴史、筑摩書房)
実に水田稲作は、神が宿り、仏道に通じる世界、すなわち日本固有とされる「神仏習合」の世界であったということになります。
こうした恣意・我執を離れた田作り作業の一つひとつ、折々の祭祀が、情感深く、季節感をいっそう引き立て、日本人にとっての原風景と言われるまでに仕立て上げられたように思われます。

農山村の水田は “田圃” という芸術作品
唐木順三氏はこうも指摘します・・・ “日本の農耕は園芸に近い。田圃は農地農場ではない、farmであってfieldではない。一枚の田圃は一つの芸術作品であった。” (引用同上)
今、農業は従事者の高齢化や後継者不足などから危機的状況にあり、その維持・再興が叫ばれています。
農業振興の取組みにおいて先ず抑えるべきは、小規模で人力に頼る農業を続けてきた農山村部(概ね中山間地域)の田は「田圃」であり、区画整理がなされ大規模経営をめざす平野部(概ね平地農業地域)の田は「農地農場」であり、両者は区別すべきものであるということです。

以上が、農山村の田圃の傍らにたたずみ、考える、水田稲作のもつ意味です。
農山村の水田稲作が有する根源的価値に光を当てる
私は、重機による区画整理がなされず、小規模で人力に頼る稲作を続けてきた農山村の田圃には、以上の水田稲作に関わる様々な意味がすき込まれており、そこで水田稲作を行うということは、それら様々な意味を身をもって体験することであり、日本人としての特色を磨くことになります。言わば日本人としての自己を耕す行為であると思います。そこに根源的な価値があると考えます。
今は成果としての「米」、すなわち “身の糧” ばかりに価値が与えられ、過程を通して宿る根源的価値、すなわち “心の糧” としての価値が無視されてしまっているように思えます。農業・農山村が危機的状況にある現在、この根源的価値に光を当てフル活用すべきであると考えます。
