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8-2. 八高線 竹沢-折原間 -青柳瑞穂の見た山々をたどる

青柳瑞穂著「壺のある風景」 -山として理想的-

「青柳瑞穂著、壺のある風景、日本経済新聞社」というエッセイがあります。その一節「武蔵野の地平線」において、著者は、八高線の車窓からみた光景を次のように述懐しています。(・・・は省略を示す)

“八王子から進行方向に向かい、左側にやがて山々が見えてきたが、それがいちように雲煙にかすんでいるせいか、遠いようでもあり、近いようでもあって、ぼくの疾走する窓からの距離が推定できず、ために山々は在るようでもあり無いようでもあって、つぎつぎに現われ消えるまぼろしに、ただぼくは目をみはるばかりであった。・・・ 

だいたいぼくは、あまりに高い山、あまりにきびしい山、一言でいえば、深山幽谷なるものは苦手で、こちらの気持がいじけ、めいってしまうのがつねであるのに、きょうの山々は、山というよりは丘陵、しかもこれは音にきく秩父山岳に相違ないのに、それが淡々と、明るい(・・・)風姿を見せてくれるのも、これまた雲煙のおかげであろうか。はからずもぼくは浦上玉堂の風景画 ― 雨に煙っている風景画、とくにあの著名な大原コレクションの「山雨染衣」の画面を目にうかべずにはいられなかった。・・・ 

玉堂の山は、野や里に近いらしく、何の変哲もないところに、ぼくは共感をおぼえる。ちなみに、越生・明覚間、竹沢・折原間の風景は、山として、ぼくの理想的なものに思えた。”

この本は1970年出版ですので、ちょうど半世紀前になります。青柳瑞穂氏は仏文学者・詩人、美術評論・古美術収集でも著名で、場末の小道具屋で尾形光琳の画を発掘し(後に文化財指定)、大きな話題を呼んだ人といいます。書画の山の中から光琳を掘り出した鑑識眼が、日本列島に連なる山々の中から越生(おごせ)・明覚(みょうかく)間、竹沢(たけざわ)・折原(おりはら)間の名もなき山々を“共感をいだくに理想的な山”として見出した、と私は思いました。そして八高線の竹沢・折原間に乗車し、また線路沿いを歩いてみました。

車窓の風景

竹沢・折原間には比高数十から三百メートル程の小柄の山が連なり、その連なりは地図上ではアメーバのようです。そのアメーバ状の山の連なりに分け入るように小河川が流れ、里地が形成され、民家が点在しています。

八高線に乗車すると、車窓からは山の連なりと里地とが交互に展開し、山の連なりは近傍から遠方へ、遠方から近傍へと、振幅感をもって移ろいゆきます。加えて近傍の山は速く、遠望の山はゆっくりと、また近傍の山は緑色、遠望の山は紫色と、相対的な動きと色調を呈して流れてゆきます。

風景の中を浮遊する列車

竹沢・折原間の線路は、元々地形の起伏があったところを切り盛りして通しています。このため列車の進行とともに、切通し部では視界は絞られ、視線の先は進行方向へと突き進みます。一転、盛土部に出ると視界は開放され、風景はパノラマとなり、俯瞰すれば里はまるで箱庭のよう。列車はほぼ直進しながら、まるで風景の中を浮遊しているかのようです。さらに、青柳氏の見た光景は、雲霧という気象による演出が加わり、まぼろしを見るが如くの幻想的な体験となりました。

玉堂の風景画

一方、玉堂の風景画は、枝葉の様子まで仔細な樹木の描写が印象的で、さらに目を凝らすと山人やら旅人らしき人物がよく描かれています。一枝一葉はそこに居る人たちの眼前のそれであり、樹々に包まれた静けさやあたたかさ、木霊する人々の会話、山あいの生活の匂いまで漂ってきそうです。

日本の風景の特質を体感

青柳氏は、往路の上文に続き、次のような帰路の体験を綴っています。

“ただし帰途は、雨もやんで、薄日さえさしていたせいか、山々は緑一色にぬられ、ふしぎなことに、竹林はかえって緑色を減じていた。たった二日のことだったが、雨が風景にあたえる影響の大きさを、今度のように痛感したことはなかった。”

また同氏は別著「ささやかな日本発掘、講談社」において

“水蒸気が日本の山水草木に特質をあたえているように、あたたかさ、やわらかさは、日本の芸術に重要な作用をなしているといっていいだろう。この、あたたかさ、やわらかさから、おのずと、閑雅な境地がひらける。”

と指摘しています。

青柳氏は、雲霧という白いベールに包まれながら、しかし淡々と明るい山々の風姿に、日本の風景の特質、日本的な美しさを見い出していたのではないでしょうか。

日本の風景・風土を望む窓

身近な山々を生活圏に置き、自然の営みから身の糧を得、季節や気象の移ろいを心の糧とする、そんな山と人との関係は、少なくとも半世紀前までは、日本列島の各地において広く見られたものでしょう。大自然の深山幽谷は壮観ではありますが、近寄りがたく、畏れさえ感じます。それに比し竹沢・折原間の山々は、確かに一見何の変哲もありませんが、身近で、生活の気配さえ感じ、なるほどそれは「共感」という言葉が当てはまりそうです。

竹沢・折原間の山々は、小柄ながら身近な存在であり、日本の風景・風土、日本人の生活・文化の源泉を望む「窓」と言ってもよいのではないか、そう思いました。

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