分け入るほどに見えてくる多彩な景色
燃料供給地としての役を終えた郷土の里山は、人の手が入ることも少なく、一部は放置竹林や常緑広葉樹林にむしばまれつつあります。一見、里山の退廃を感じさせますが、それでも山の作業をしながら山内部の景色も合わせ見ると、それは実に多様で多彩な世界です。
落葉広葉樹林、常緑広葉樹林、針葉樹、植林はそれぞれに特徴的な林内風景を宿し、鬱陶しい竹藪(やぶ)も手を入れれば清々しい竹林になり、林縁(りんえん)の藪にも花があり風景を彩る領域になることが分かりました。
三様の視覚体験
里を取り巻く里山には三通りの見方があります。
一.対象として見る
里から里山を眺めると、近傍の山腹の木々は枝葉に表情を浮かべ、離れては林種の違いによる色彩のパーチワークを織り、それらに気象・季節による変容も加わり、里山は飽きることのない観賞対象です。
二.内部に入りこみ内部を見る
山内に入り込むと、そこは明るく豊かな林内空間、落葉広葉樹を主体として常緑広葉樹、針葉樹、竹などが多彩な景色を繰り広げます。林床には野草や低木も息づき、山内に入ってはじめて見ることのできる花や紅葉もあります。
三.内部から外部を望む
里山に登ると、枝葉の隙間から里を箱庭のように俯瞰することができます。里を取り巻く位置にありながら、里の日常から離れ、開放感に浸りつつ、郷土を見つめる機会を与えてくれます。国見山ならぬ “里見山” です。
以上のように、里山の三通りの見方はそれぞれが特徴的な三様の視覚体験です。里山は見るという行為だけでも、この三様の視覚体験により情感を刺激され、思考を誘起され、活性化されます。
“入会風景地” としての里山づくり
かつての利用価値を失った里山は、今、里から眺めるだけの一方的な山になりつつあります。また里山を所有せず入山しての体験ができない住民の方もいます。
そこで提案したいのは、地域が共同で管理し利用する里山をつくることです。言わば “入会風景地” です。
住民の皆さんの心身の活性化、郷土の魅力の再発見・愛着の増幅、地域としての連帯強化等に寄与することが期待されます。所有者の高齢等により管理が難しくなった里山などが想定される対象です。
*入会地 いりあいち:かつて村落住民が共同で立入り、木や草や果実等を採取していた山林・原野などの土地。
課題として伐採した木竹の有効活用
里山の風景づくりに取り組んでいると、伐採した木竹片が大量に発生してきます。その多くは利用しきれずに山積み状態であり、持続可能性へつなげるためにはその有効活用が重要なテーマです。
かつて人と里山とは相互活性化の関係
里山林は切り出されては燃料等として人々の生活を支え、一方、残された切株からはその都度萌芽があり落葉広葉樹林として生存し続けてきました。
CO2(二酸化炭素)吸収の観点からすると、森林はその成熟状態よりも生長過程においてより能力を発揮することから、里山林が萌芽→生長し成熟状態となった段階で伐採し、更新を繰り返すことは、CO2吸収能力を高レベルで発揮し続けることになります。
かつての人と里山との関係は “人と里山との相互活性化” であったと言えるでしょう。
新たな “人と里山との相互活性化” への期待
里山林にかつての燃料利用に代わる経済価値を有する活用方法を見い出すことができれば、同時にCO2吸収能力を再び高めることにもなり、新たな “人と里山との相互活性化” として持続可能性につなげることができます。
現在「木質バイオマス」をはじめ木竹材活用の様々な研究・試行が行われており、将来、持続可能性の原動力になるものが現れることを期待したいと思います。